大阪に戻ってきて、人情味がある良い町だとさらに再認識しました。
しかし、10数年東京で仕事をしている間に、東大阪の町工場が半数に減ったそうです。メーカーが海外での生産へシフト、大手メーカーが衰退してしまい、市場が小さくなってしまいました。このままでは、低コストで高技術の東大阪の文化が衰退してしまう、従来の下請けの受け身ではなく、自分たちで仕事を作っていくモデルが必要だと思いました。
そして、東大阪の技術の強みをいかした商品づくりができないかと約数百社の製造業の経営者と面談しました。しかし、大半が半製品部品を作る作業でなおかつ設計図ありきの仕事である。新しい商品を1企業で作っていくのは、難しいと実感しました。そして、各社の強みをいかした商品が作れないかと自分でマーケティングとアイデアづくり及び販売・流通を担当することにして、あとは、得意分野の企業にこんなものを作れないかと相談し商品を作ることにしました。